なぜ、私が音高を選んだか
私の音楽体験のスタートは年長の時、母の友達の娘さんから手ほどきを受けたところからです。
自分自身は友達が皆習い出したからやりたい、くらいの気持ちでしたが母は
その時から私を音大に入れるつもりでした。ただ音高の存在は知らなかったので、家から近い同志社女子大学を目指してたそうで、中学2年迄同志社女子大の先生に習ってました。
はっきり言って技術面重視の厳しいレッスンでした。母には逆らえず練習してたかな…ただ、たくさんの先生方に
ピアノ、ソルフェージュ、聴音、歌を習ったことで、宝石よりも価値のある財産を身に付けたと思って感謝してます。
中学2年の時、学校の音楽室の壁に
当時は京都市立堀川高校音楽コースという名称でしたが、定期演奏会のポスターが貼ってあり、友達と軽い気持ちで行こか、ってことになって。
行ってみて、驚きました。生徒のピアノやバイオリンその他の個人演奏も
びっくり(@_@;)のレベルの高さでしたが、演奏会の最後の生徒のオーケストラと合唱、シュトラウスのトリッチトラッチポルカ、身体中に電流がながれたみたいな、頭の中にアドレナリン全開みたいな今迄に味わったことのない不思議な魅力、というより魔法にかけられたみたいな興奮とスゴイ!楽しい!
感動でいっぱいになったんです。
それに制服、すごくオシャレで胸の校章、堀川のHが二重に重なってて
それを着ている生徒達も生き生きしてて…
その時です。私もあの制服を着る、というだいそれた決意をしたのは。
中学2年の秋でした。
家に帰って、その決断を話した母は
自分の敷いていたレールから外れようとする私に驚き、また嘆きつつもピアノの先生に相談してくれたのです。
先生は、あきれて、女子大の偉い先生に紹介するつもりだったのに、また堀川なんて絶対ムリ!と言いつつも、知り合いの堀川の先生に紹介してくださり、レッスンにも同行してくださいました。
中学3年の秋に入学試験の実技テストの課題が出てからは、必死でした。
京都会館のホールのステージであの制服を着てしびれる様な合唱に参加する!あんなに楽しい音楽があったなんて!絶対入る〜!
先生も母もダメ元前提でしたが、よくお付き合いしていただきました。
感謝です。
皆様の協力と私の努力?のかいあって
お陰様で私は念願の制服を着て歌を歌い、その度に感動していました。
堀音という名称で全国からも受験に来る学校なのでピアノの実技はアップアップでした…
でも1学年下に、知ってる方も多いと思いますが、指揮者の佐渡裕さんがみえました。当時はフルート専攻で
合唱の時間にはオーケストラで同じ空間でご一緒してたんですねぇ…
今は、足元にも寄れないくらい偉くなられて。
佐渡さんの指揮する1万人の第九に出るのも私の今の夢です。
ちなみにバイオリンの葉加瀬太郎さんも堀音の出身です。
そんなところに私がいたのが不思議。
でも、密度の濃い宝物の様な三年間でした。
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